MASA's ALTEZZA SERIES REPORT!
マサのアルテッツアレポート text by Masataka Bandoh
 
【Net's CUP ALTEZZA series】




 2002年、レーシング・プロジェクト・バンドウではアルテッツアシリーズに参戦。アルテッツアシリーズとは、日本国内8カ所のサーキットを使用し年間10戦で行われるレース。全日本GT選手権の前座という感じで開催される。開催地は仙台ハイランド、SUGO、もてぎ、筑波、富士、鈴鹿、TI、サーキット英田、美祢。通常土曜日に予選、日曜日に決勝という日程で進行する。決勝レースは1周3〜6kmのサーキットを使用、誰が一番速く走りきるかを競う。決勝の順位でポイントが与えられ、年間を通して最もポイントを獲得したドライバーにそれぞれチャンピオンと栄光が与えられる。
 プロを目指しステップアップを狙うドライバー達が集うツーリングカーレース。アルテッツアをベースにした本格的なマシーンで、タイヤもミシュランのワンメイクとなっているため、マシンの差が出にくく、まさにドライバーの腕勝負といえるレースである。

【第1戦 筑波】


 今年の2月にアルテッツアワンメイクレースのメンテナンスの話しが当社に転がり込んできた。
 今やGT選手権に参戦しているRACING PROJECT BANDOHは、今までいろんなカテゴリーに参戦してきた。土屋圭市や織戸学も一緒に戦った一人といえる。そんな実績から坂東 正明が評価され今年もまた北海道在住のドライバーがBANDOHの門を叩いた。
 ドライバーは上田五郎。東北シビック等に参戦してきたドライバーである。メンテナンスは植竹ENG&BANDOH。勝つための体制はすべて整った。後はドライバー次第。そして第1戦は幕を開けた。
 金曜日の練習中にドライバーのシフトダウンミスによりE/Gが壊れた。アルテッツアのエンジンはN1規定だが凄く繊細で、レブに当てたりシフトロックをしたりするとすぐに壊れるらしい。またメタルが焼き付く話しも他チームから聞こえてきた。走行後すぐにエンジンを載せ替え、土曜日の予選に備えた。
 予選日、最終コーナーで痛恨のスピン。フラットスポットを作ってしまい、予選は終了した。18番手。タイムは1分6秒219。
 そして決勝日、天候は晴れ。ポールが川崎選手で第一戦の幕は開けた。1ヘアでシフトダウンミス。またしてもブロックに穴が開き第1戦は終わった。結果はリタイヤ。ほろ苦いデビューとなった。
 ドライバーの上田は、「ミシュランタイヤは始めてで凄く難しかった。ブレーキングをもう少し煮詰めれば4秒台は行けると思った。今回はシフトダウンでエンジンを壊してしまった。次からはチームに迷惑をかけないようにがんばります」と語った。
 レースと言うスポーツは常に勝負。勝つ車は1台。マシンとドライバーが1つになって始めて速く走ることができる。残り9戦前進あるのみ。100戦100勝のドライバーはいないのだから…。

【第2戦 鈴鹿】

 3月23日、アルテッツアレ−ス(第2戦)の予選はF1でお馴染みの鈴鹿で行われた。天候は怪しくなってきた。練習走行中もなかなかタイムの出ないドライバーの上田は予選前に相当悩んでいた。それもそう上田は鈴鹿は初めてまだアルテッツアレースは2戦目。前回が前回だけに相当なるプレッシャーがかかっていたはずだ。練習走行でトップの井入選手とは約9秒違う。鈴鹿はかなりのテクニカルコースで1コーナーのブレーキングからシフトダウンそしてなんと言ってもデグナ−、130Rなど普通の人だとかなりびびってしまうコーナーばかりなのである。
 そして、天候の悪い中予選が行われた。レースとういもの勝負のスポーツ。誰かが勝つ。そして誰かが負けるのである。サッカーなどと違っていくら自分の運動神経が良くてもマシンが悪ければ勝てない、びびった段階で勝負は負け。タイムを出した者だけが速いと証明されるスポーツなのである。そして全力を尽くした上田は予選を終えた。順位は後ろから数えた方が早い順位。なんともウエッズのフルカラーで19番をつけたマシンには痛い順位だった。監督からはマシンを壊さずにと決勝は今より一つでも上にというコメントだけが言い渡された。
 そして24日。決勝日、とんでもない事故が起きた。
 まずはスタートから報告しよう。上田は鈴鹿のスタートグリットは若干坂道になっているためサイドブレーキを引いていた。そしてスタート。なんとドライバーはニュートラルにしてしまいスタートでかなり出遅れる。前の車との差は広がっていくばかりそして1周後なんとか前の車に追い付いてきた。3周目を終わったところで最後尾の車がエンジンブロー1コーナーにオイルをまいた。そしてトップ集団が帰ってきた時、井入選手が佐々木選手のインをつこうとしたところで痛恨のスピン。なんと他8台もがクラッシュしてしまった。8台はほぼ全損。赤旗中断。再スタートは30分後に行われたが残っている台数は15台。ピットスタートした5zigenの小林選手はトランクをラッシングでしばり、ぼこぼこになった状態でうちのマシンを交わして行った。
 ドライバーの上田もあんな状況で抜かれている自分の技量に痛感してると思う。監督からはハングリーさが足りないと説教され、次戦富士にむけて気合いを入れなおすと誓ったドライバーを信じて鈴鹿を後にした。結局レースは13位で無事完走。予選終了後にエンジンを1基壊したという結果になった。

【第3戦 富士】

 レーシングプロジェクトバンドウは現在GT選手権に参戦している。以前はフレッシュマンレースやグループA等に参戦していた。坂東商会では今年からレーシングプロジェクトバンドウを目標に、一つのビジネスとしてレース活動に力を入れている。ゆくゆくは織戸学みたいな選手を育成していきたいと思っている。今年はアルテッツアを購入。来年以降ドライバーとして参戦したい方は是非坂東宛にメールをいただきたい。
 今年はVITZとアルテッツアそしてGT選手権に参戦となった。アルテッツアは坂東商会にとって一年目。そこに来たドライバーが上田五郎であった。
 アルテッツアレース第3戦の富士。GT選手権の前座。前回の練習走行では51秒を記録していた。ちなみ早いタイムは46秒くらいだった。練習日一日目中古タイヤで練習開始。30分という短い期間のため、コースになれて終了。なんと次の日は朝8時からの開始で9時には終わってしまうというスケジュール。予選の日、相変わらずドライバーはナーバスな状態。気合いというよりかは何か考えているような気がした。やはりモータースポーツもスポーツ。勝負の世界なのである。レーシングプロジェクトバンドウで、WEDS SPORT アルテッツア、ゼッケンは19。完璧なワークス体制ながらドライバーは22番手。28台中22番手である。なんとも情けない話である。やはりトップに入るには練習や経験が必要なのだろう。
 もしこれからレースをやる人たちがいるのなら少し言っておこう。まず自分の走りをマスターする。毎回同じところでシフトアップ、ダウンをする。それでそれからブレーキングを早めてみたり、シフトアップポイントを変えるようではダメ。ましては予選中自分の走りを信じてアタックしないと前には進んで行かない。決勝中はまた別。相手がいるのといないので走りを変えないとダメなのである。
 そして決勝日、スタートは出遅れたが赤旗中断。2回目のスタートは失敗しなかったもの中盤。100Rで3速から4速に入れようとしたとき2速に入ってしまいスピン。なんだかんだいって19位で終わった。何とも言えないレースだった。


※次のレースは6月16日TIサーキットです。


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